何でも情報をネットで仕入れてると感性の枯渇が早そう
最近はネットで何でも調べることができ、モノの使用感から、病院の良し悪し、予備校や就職先の評判、世界の名所まで多くのデータが存在します。
そんなアクセスしたら何でも見つかる状態って良いこともあれば悪いことも。
TwitterやInstagramをやっていて1番嫌だったのが、情報量が多すぎること、かつ人の情報が簡単に手に入り過ぎてしまうことが原因でした。それを周りの友人に伝えると「他の人の投稿は気にならないけど…」との返答が。うーん何故だろう。でも僕はめちゃくちゃ気になりました。
特に、Instagramの検索欄に出てくる自分に全く関係ない人の写真の羅列が1番しんどかったです。見たくもないものが目に入るというのは相当なストレスなんだなと勉強になりました。
最近、SNSとの向き合い方を常に考えています。特に、ネットで情報を得れば得るほど感動が薄れる点には早急に手を打たないといけないというか、自分の感性の枯渇が早くなりそうで怖いです。
もちろん、ネットで見るのと、本物や現地で見るソレは違って当然なのですが、ネットが先だと「あ、これ見たことあるわ」になってしまうのが残念極まりない。
また、最近会話の中で耳にするのが「あ、それTwitterで言ってたね」とか「Instagramでアップしてたやつでしょ?見た見た」という言葉。話も盛り上がらないし、驚きもない。直接会う楽しみって何なの?と思う時があります。
SNSで色んなムダは省けるとは思います。距離的な問題で会えない人とは、移動するお金が必要なしに繋がっていられるし、他の人のレビューを見れば、買い物で失敗することも減る。ただ、そのムダが血となり肉となっていく中で本物が分かっていくのではないでしょうか?
あと、ムダと思ったものがムダではないかもしれない。突然の化学変化が起こる可能性や楽しみがなくなる。便利すぎる世の中の不便さを感じる今日この頃です。
情報を仕入れることで、それが擬似体験となり、分かったようなつもりになる。
それだけは、気をつけたいですし、まずは自分で見て、確かめてから情報量を増やしていきたいと思います。
じゃないと、何が嘘で何が本当か分かりませんから。SNSが発展してきた今の時代、何が大切なのかは、その情報を自分で判断する力と同時に自分の意見を持つことであると思います。
情報に踊らされるのは、実に滑稽ですから。